カバンの中身

今週のお題「カバンの中身」

 

近頃、私のカバンに必ず入っているのは、母子手帳である。

それは今年5月に生まれた子と片時も離れず過ごしているということである。

カバンに入っているとはいえ、毎日使うわけではない。

もし外出先で怪我をしたら、体調が悪くなったら。

いつでも子のことを説明できるように、お守りみたいに持ち歩いている。

 

子どもが結婚したら、母子手帳を子どもに持たせる母親がいると聞いたことがある。

昨年末、私の夫も例に漏れずそれを受け取っていて、

早めに頼んだおせちを頬張りながら、私と夫とその両親と、

夫が生まれた日のことをわいわいと話していた。

当時、私のお腹にはもう子が宿っていて、

夫のエコー写真とこれから生まれる子のエコー写真を見比べたりもした。

 

先日、夫の母が他界した。

あの賑やかな夜から、まだ1年も経っていない。

昨年末に会った時も病気を患っていたけれど、

お別れを受け入れる覚悟というのは、ずっとできなかった。

 

慌ただしく葬儀が終わり、家に帰る。

夫が押し入れから大事そうに取り出して見ていたのは、あの母子手帳だった。

ページをめくると、激しさのある文字が語りかけてくる。

まぎれもなく夫の母が生きていた証拠だと思った。

そして、夫のことを大事に大事に思っていたこと。

普段は気丈な夫が、声をあげて泣いていた。

 

カバンの中には、いつも大切なものが入っている。

いつか持ち歩かなくなったときも、私の歴史の一部のように

手元に残り続けるのだと思う。

 

妊婦の日々。 その10

お子が生まれて1ヶ月が経つ。

退院してからは、朝に夜にお子につきっきりの生活で

以前の自分がどのように過ごしていたか忘れそうになる。

自分はどこまでも地続きのはずなのに、

出産前後で違う人生が始まったような気持ち。

思い出すために、臨月の頃の話を書き留める。

 

臨月突入〜出産前日

 

臨月に入り、お腹がズドンと重くなった。

最終的な大きさは大玉スイカくらい。

妊娠線も初期からニベアとアーモンドオイルでケアしてきたつもりだったけど、

間に合わなかった…

イカのような模様が中央に入り、その周りに稲妻が走っている模様。

こればっかりは、中の人の大きさとも関係するし、

外側からのケアではどうしようもない部分があると感じた。

(出産1ヶ月後の現在、稲妻はだいぶ薄くなっている)

 

健診が1週間ごとになる。

しかし、先生は「(お子が)いい発育ですねぇ」と言うばかりで、

一向に生まれる気配がない。うーむ。

「なるべく体を動かして、お産に繋げましょうね〜」

という先生の言葉を頼りに、とにかく毎日歩いた。

朝に30分。夕方に40分。

遠くまで行けないので、近くのコンビニへアイスとかお菓子を求めて歩く日々。

夫氏に、近所に住む友達に、いろんな人が散歩に付き合ってくれた。

 

出産予定日。

いつも通り散歩をして、3食しっかり食べて過ごす。

おしるしも前駆陣痛もまだない。

当時の自分は予定日までに生まれるものだと思っていて、

予定日を過ぎると少しずつメンタルが落ちてくる。

産休に入ってからあまり動いていなかったから?

自分を責めてしまって、結果的に誘発入院となる前日まで苦しかった。

 

産後の今になって思うのは、

予定日超過は妊娠のボーナスステージだということ。

育児も仕事もせす、好きなことができる時間。

それを貰えたのなら、楽しんだらよかった。

お腹が大きくて苦しかったり、

いつ生まれるかわからないから不安になったりしたけど、

今しかできないことをするべきだったなぁと思う。

妊婦の日々。その9

昨日の記事に⭐️がついている!

うれしいなー、ありがたや。

 

妊婦の日々に筆を戻す。

今日は妊娠9ヶ月の頃の話。

 

仕事引き継ぎ

 

妊娠9ヶ月は妊婦生活の中で1番忙しい時期だったんじゃないかと思う。

 

まず、32週目の終わりに飛行機での里帰りを控えていた。

それに伴って仕事は早めにお休みに入らせてもらう。

チームでやっている仕事とはいえ、

個人個人で振り分けられている業務があるので、

とにかく自分の業務をどんどんマニュアル化していった。

一緒にやってくれる人がいる業務については、

マニュアルを見て実際に伝えながら。

今後の懸案事項については、上司に相談して準備できるところまで

データに残すことにした。

それでも、実際に休職するとイレギュラーなことは起こるだろうし、

マニュアルに書いていないことを尋ねられることもあった。

完璧に準備するのは難しい。

たくさん迷惑をかけるだろうに、

最後の日まで皆さん温かく受け止めてくださって、本当にありがたかった。

自分が戻ってきたときに引き継ぎを受ける側になったら、

安心して送り出せるように頑張ろうと思った。

 

里帰り準備

 

平日夜と土日で以下の準備をした。

  • 里帰り荷物の発送
  • チャイルドシートの購入、取り付け
  • ベビー用品の受け取り、設置
  • 掃除
  • 里帰り先へのお礼の準備
  • 最後の妊婦健診
  • 車検

もはや最後の1つは関係ないな…笑

里帰りで大変なのは、ある程度今の住まいをベビー仕様に整えつつ、

里帰り先で必要な荷物を揃えることだと思った。

まず、ベビーベッド等を先輩の家に受け取りに行き、

2人がかりで住まいのリビングに設置した。

リビングには衣装ケースやバッグ掛けを置いていたので、

それは寝室へお引越し。

寝室にあった自分の布団一式は家を出る前の日に洗濯して、押入にしまった。

 

里帰り先で使う荷物は、宅急便で先に実家へ送った。

自分の荷物は春〜夏にかけての10着程の洋服。(+長い付き合いの🧸)

ベビーの荷物はうっかり買ってしまった洋服とミルトンケースと

里帰りから戻る時に使う抱っこ紐が中心。

おむつとかお尻拭きといった消耗品は、里帰り先で買う作戦である。

 

実家へのお礼は3ヶ月近く過ごすこともあって、6万円を包んだ。

多いか少ないかはわからぬ…

とにかく、旅立つ前日までバタバタであった。

 

夜分、激しい胎動

 

仕事と里帰り準備に疲れて、夜は早めに寝床に入る。

しかし!

毎夜11時頃から、お腹の中でフィーバータイムが始まる。

私左半身を下にして横向きに寝るのだが、

ベビーの位置によってはそれを不快に感じるらしく、

お腹の中で高速バタ足をしていた。

それが終わるとにゅーとベビーの足か頭部が出っ張る流れ。

日中はじっとしているのに、とにかく夜のフィーバータイムが激しくて、

なんて夜型の人なんだ…と嘆く日々であった。

 

つづく。

福岡・大濠公園

久しぶりにお題に沿って文章を書いてみる。

 

今週のお題「好きな公園」

 

ぱっと思いついたのが、福岡にある大濠公園である。

就職を機にちょうど近くに住むことになり、何はなくとも訪れていた。

大きな池を囲んだ丸い公園で、池の周りを昼夜問わず散歩している人がいる。

私もそれに混じって歩き、始めたばかりの仕事のモヤモヤや

知り合いのいない福岡に配属された寂しさを紛らわせていた。

 

歩くときは大抵音楽を聴いている。

しかし携帯の充電が切れていることがあり、

そんな日は何をモチベーションにして歩こうかと迷っていた。

 

気がつくと、私はすれ違う犬を見るようになっていた。

 

大濠公園はたくさんの犬が散歩している。

犬がめちゃくちゃ好きというわけではないが、

やっぱり見ていると癒されるし、

大濠公園を歩いている犬たちはどこか満足気というか、

満を持して連れてきてもらって

「うれしい!」という気持ちが漲っているように見えた。

 

ある日の昼間も散歩をしながら、犬たちを眺めていた。

特に柴犬がお気に入りで、その日も嬉しげな柴犬と何匹かすれ違い、

つい見つめてしまった。

 

翌日。出勤すると、別の課の上司から声をかけられた。

「昨日、大濠公園で〇〇さん(私)を見たよ!」

「え!声をかけてくださったら良かったのに」

 

「あまりにも熱心にうちの犬を見てたからね〜」

 

!!!

 

何ということだろう。

犬に夢中になりすぎて、

それを連れている上司に私は一切気がつかなかったのだ。

そういえば、上司が柴犬を飼っていると後輩が言っていたな…

 

今度からはちゃんと前を見て歩こうと思った。

誰に出くわしてもおかしくない街中だったし。

 

しかし、大濠公園の近くから引っ越してもうだいぶ経つが、

いまだに街中でかわいい犬を探す癖が抜けない。

妊婦の日々。その8

妊娠8ヶ月の頃の話。

 

マタ旅に出る

 

妊婦が旅に出ることを、マタニティとかけてマタ旅というらしい。

マタニティプランで検索すると、沢山の宿がヒットする。

ウェルカムドリンクがノンカフェインだったり、

貸切湯を無料で使えたり、配慮がすばらしいなぁと思う。

 

8ヶ月を迎える頃、ちょうど結婚記念日と被っていた。

体調への懸念とコロナ禍であることから遠くにはいけないけど、

近場でダラダラしたいなと思って、市内の温泉宿を予約した。

 

実は安定期の頃、マタ旅で県外に出かけている。

往復3時間ほどの場所だったので、その時は念のためマタニティプランで予約した。

今回は一般の方と同じプラン。

温泉だけ妊婦でも入れるか、よく調べてから予約した。

(妊娠初期・後期は断られることもあるみたい)

 

宿に到着したらひたすらごろごろし、

夕食を味わい、食べきれない分は保存容器で部屋に持ち帰った。

温泉は貸切湯だけ使わせてもらって、とにかく無理のないように過ごした。

とても良かった。

8ヶ月となると、仕事の引き継ぎやベビー用品の購入など、

常に考えないといけないことがあって、

体はじっとしていても、あまり気の休まることがなかったように思う。

そんな日々の中で立ち止まるいい機会になった。

 

つづく。

妊婦の日々。その7

夜になると、そうだ記事を書こう!と思う。

昼間忙しかったわけでもなく、

寝て過ごしたり、ベランダで本を読んでいたりしたのに。

今日が形として残らないことをどこかで恐れているのかも。

 

今日は妊娠7ヶ月の頃の話。

 

最後のライブ

 

妊婦の日々。その1で書いたように、私の趣味はバンドである。

学生時代からベースを弾いていて、

近年は2〜3週に1回のスタジオ、3ヶ月に1回のライブというペースであった。

バンドマンとは呼べないくらいのんびりしていたので、

活動頻度の高い人はあまり参考にならないかもしれない。

 

それでも、妊娠した当初から「私はいつまで活動できるんだろう」という不安があった。

プロアマ問わず、ネットで妊娠期のバンド活動について調べてみた。

見つかったのは夫婦で活動するバンドの女性ドラマーと

マキシマムザホルモンのナヲさんが妊活で休止する、というニュースくらいであった。

モデルケースがとても少ない。

 

活動について医師の許可をもらうのもどうなんだろうと思い、

特に気にせず、妊娠初期から7ヶ月になるまで以前と同じペースで活動を続けた。

音楽的に激しいジャンルではなく、

コロナ禍でアコースティック編成が多かったのが良かった。

でもやっぱり、妊娠期を通して体調が安定していたから

以前と変わらずできたのかなぁと思う。無理をしてはいかん。

 

そして、妊娠7ヶ月の頃に最後のライブを迎えることになった。

体調的にもベストな時期だったと思う。

安定期を過ぎて、でもまだまだ母体が動ける時期。

私の場合、8ヶ月に入ると一気にお腹が出てきたので、

見る人が音楽に集中できなくなっていたかもしれない。

 

ライブは心をこめて、今までの集大成だという気持ちでがんばった。

 

7ヶ月まで活動できたのは、いろんな人の助けがあった。

まず、一緒に演奏するメンバーが理解してくれて、

ライブのときまで本当に体調を気遣ってくれたこと。

(逆の立場だったら、もっとバリバリ動けるベーシストを探すわい!

 となってもおかしくない。笑 ありがたや。)

そして、夫氏が楽器の運搬を手伝ってくれたこと。

練習のある日は私が車を停めている駐車場まで迎えにきてくれて、

マンションまで楽器を運んでくれた。

他にもライブをしたカフェのオーナーさん、お客さん。

沢山の人が声をかけてくれて、ずっと楽しく活動することができた。

 

私がベースを弾くと、よくお腹の中でニョロニョロとお子が動いていた。

私自身が楽しかったり、リラックスしているときに反応していたみたい。

音は聴こえてたのかなぁ。

生まれてきたら、いつか尋ねてみたい。

 

つづく。

妊婦の日々。その6

春の陽気に浮かれて、食っちゃ寝を繰り返し、

更新が滞ってしまった。

いかん!生まれるまでに書いてしまいたい。

 

妊娠6ヶ月の頃を振り返る。

 

何着よう問題

 

ちょとずつお腹が出てきたのがこの時期。

とはいえ臨月の今に比べると、下っ腹が少し出たかなというレベル。笑

でも今まで着ていたスカートやタイツがきつくなってきた。

この時期までに買って、結局今も役立っている服は以下のとおり。

 

ユニクロ マタニティレギンス

https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E439036-000/00

手持ちのワンピースに合わせて、妊娠初期〜臨月までずっと履いている。

のびがよくて、でも伸びきってズボンみたいにもならず、ちょうどいい。

お腹の部分が腹巻き状になっているので、

産後の冬にも普通に履けそう。

 

◆前開きのワンピース

(イメージこんな感じ)

古着屋で800円くらいで買った。

冬は中にタートルネックを着て上着を羽織り、

春は↑のレギンスと合わせて1枚で着ている。

前開きだと授乳にも使えるので、産後も役立ちそう。

 

逆に買ったけどあんまり着なかったもの。

・マタニティジーンズ

…8ヶ月頃までは履いていたけど、だんだん体勢的に履くのがつらくなってやめた。

・L〜LLサイズのボトムス、タイツ

…マタニティウェアは高くてデザイン的にいまいち。

なので量販店で大きめの服を買ってみたけど、臨月には締め付けがきつくて

結局着なくなってしまった。

 

後は仕事着としてスーツのスカートのみマタニティ用のもの、

西松屋でマタニティタイツを買い足した。

仕事着は先にお子さんの産まれた方から借りることもできて、

とてもありがたかった。

 

胎動を感じたい

 

この時期の思い出をもう1つ。

5ヶ月〜6ヶ月にかけて胎動を感じられますとアプリに書いてあったので、

毎晩心待ちにしていた。

しかし、この時期の私は激しい便秘に見舞われていた。

腸のあたりがぐるぐると鳴っているが、

これが胎動なのか、ただの私の腸が動いているだけなのか…

微妙な心持ちであった。

 

結局なかなか判断がつかず、

もしや…!と思ったのは21週くらいだったかな。

便秘が解消されつつある中で、ピクッと魚が跳ねるような動きを感じた。

もう腸の動きとともに感じていたのかもしれないけど、新鮮だった。

夫氏に触ってもらったら、すぐ動かなくなった。(あるある?)

 

この先、びっくりするくらいの胎動に変化することを私はまだ知らない…

 

つづく。