たくさんご飯を食べたあとに、

「いまお腹の中に魚が泳いどるわ〜」

などと話をするのが可愛らしくて好きである。

回転寿司に行った後は私のお腹にサーモンがいるし、

焼鳥の後は鶏を1羽飼っていることになる。

 

今日は焼肉ランチだった。

私が肉だけを食べ進める一方、

夫氏はご飯山盛りのお茶碗を手に持っていた。

ご飯が来た時に軽く丼ぶり一杯はあったので大丈夫かと案じていたら、

途中で夫氏は苦しそうな顔になり、私は余ったお肉をもらった。

 

お店を出て、いつもの話をする。

私のお腹にはお肉たちがいて、

夫氏のお腹には…米。米がいる!

あまりにもお腹いっぱいなのでこれはなかなか消化できそうになく、

2人して妄想した。

 

もし、お腹の米が育って稲が生えてきたらどうなるんだろう…

 

ひょっとしたら、それは便利かもしれない。

米は重くて買うのが面倒なので、自分で栽培できたら。

ひょっとしたら、それは未来の我々のあるべき姿なのかもしれない。

草も生えない荒地だけになった未来では、人間の肌の上で作物を育てる。

 

時に稲は脅威となる。

都合よくお腹の上だけで育てていた稲が、

何らかの異常で人間の体全体に広がり、顔まで稲に包まれるのである。

やがて我々は稲によって滅びるかもしれない。

 

 

そんな弱気な妄想になってしまったのは、

30代を目の前にした我々のお腹で胃酸が減り、

お肉の脂身がきつくなってるからという説がある。

増えてくれ胃酸。

そして稲から世界を救ってほしい。

大晦日

12月が来ると、その年について文章にまとめたいモードになる。

今年も思っていたのに、だらだらと過ごしていてもう大晦日

 

今年ほど、思い描いたものとかけ離れた年はなかったのではないか。

 

楽しい予定がなくなって、でも仕事は変わりなく続いて。

春から夏くらいまでは、配信ライブやオンライン飲み会とか、

目新しいもので自分の心をなぐさめていたけど、

夏の終わりくらいからはそれでは物足りなくなった。

なんとなくいろんなものにやる気がなくなって、

平日は家に帰ると寝てばかりの日が増えていた。

 

それでも起き上がって動かなきゃな、と思わせてくれたのは音楽で、

それぞれのバンドでのスタジオやライブがとても支えになった。

 

12月には久しぶりに遠出をしてライブをした。

エフサウンドカフェという隠れ家のようなお店。

そこがとてもよかった。

オーナーさんが自分の部屋に招くように出演者やお客さんに接していて、

初めての私もリラックスして過ごすことができた。

オーナーさんは出演者としてステージにも上がる。

そこでも「今日は若いお客さんが多そうだからこんな曲を」と

箱にいる1人1人を見ながら、なかなか勢いのいい曲を演奏してくれた。

 

相手のところまでおりていって、働きかけること。

年々私がサボっていってることで、今年は特にできなかったように思う。

環境や自分の年齢、離れている距離を理由にしたり。

ひきこもりがちだった自分の心を、

こんなふうになりたいなぁと思わせてくれた。

 

来年はのびのびと健やかに過ごせますように。

良いお年を!

 

かけら

このブログがだんだん自分のひらめきを集めたものになっている。

忘れたくないもの、集合体。

 

先日、学生時代の友達に久しぶりに会った。

卒業から会っていなかった子もいて、同窓会のような雰囲気だった。

みんなである1人に思いを馳せて、手を合わせた。

 

私から見た彼はおとなしくて、職人のような人だった。

普段話す機会は多くなかったけど、

飲み会になると酒好きが共通してか、よく近くで飲んでいたように思う。

 

ある人から見た彼はやんちゃな人で、

ある人から見た彼は自分の意見をしっかり持っていて、

ある人から見た彼はアイデアをもって職場を変えていけるような人だった。

 

みんなの思い出を繋ぎ合わせたら、

彼が鮮明に浮かびあってきたような気がした。

同時に、私が知っていた彼は、そのひとかけらでしかなくて、

まだまだ知らない面があったんだと思った。

近くにいると、その人のことを全て知ったような気になることがあるけど、

思い上がりなのかもしれない。

 

みんなでかけらを持ち寄れば、また彼に会えるような気がする。

彼の話をしたくなったら声をかけてください、

と友達が家族に声をかけていて、とてもいいなと思った。

かわりめ

冬が近づいているな、と思う。

私の身体には便利な機能があって、季節の変わり目になると肌がかゆくなるのである。

季節の真ん中あたりにいるときは忘れているのに。

ということで、明日は皮膚科に行く。

 

気がついたら、また歳をとっていた。

29歳。これも20代から30代への変わり目である。

20代を思い返してみると、

22歳くらいまではまだ学生だったし、とても世間知らずだった。

23、24歳になると、自分の無知さに嫌気がさして(特に仕事)、

凹むことが多かったように思う。

逆に25歳を過ぎると、仕事で自分の好きなことに携われるようになり、

なんだか調子に乗っていた。

それゆえに、周りの人に強く言い過ぎることもあって、

「謙虚さが大事だよ」と上司になだめられたことを覚えている。笑

 

28歳は仕事も住まいも環境ががらっと変わったことから、

またいろんなことを教わる場面が増えた。

だいぶ今の場所には慣れたけど、振り出しに戻る時期があったからこそ、

自分がえらそうになってるなぁと、ちょっとずつ気付くことができるようになった。

 

29歳はどうでしょうか。

 

この頃、同年代の悲しいニュースが多くて、

どうしてこの年に…と考えてしまうことがあった。

衝動的でもなく、自ら命を断つことを自己表現として捉えるのも難しく感じる。

 

いなくなることで始まることは、何もない。

ただただ、無に帰っていくだけだと思う。

 

どうか今まで積み上げてきたものの中に、自分の支えを見つけられますように。

支えるものに囲まれて、毎日を積み重ねていけますように。

 


クリープハイプ 「二十九、三十」MUSIC VIDEO

ベースと整体

似ているものを探すのが好きだ。

 

例えばバンドで音を重ねることと、油絵で色を置いていくこと。

骨格だけだったものに空間が生まれる感じ。

 

ベースの調整と整体もよく似ている。

 

昨日は福岡に引っ越して初めて入ったスタジオに遊びにいった。

コロナ禍でそのスタジオも今月末には一旦営業を終了するという。

 

そこにはベースの師匠のような方がいて、

私がベースを持っているのを見つけるなり、状態を見てくれた。

私のベースはだいぶネックが反っていたようで、

パーツごとに分解して組み直すことに。

 

ばらばらになるネックと本体。

ネックの根元にあるネジを締め直して、反りを直す。

再び本体にネックを差し込む。

しかし、本体の窪みがタイトで、ネックがなかなか収まらない。

えい!と2人がかりで押し込んでいるときに気づいた。

 

これは、整体と似ている…!!

 

骨の位置を元に戻しますねー、といいながらめっちゃ押されるあれだ!

ちょっと痛いかもしれないが、がんばってくれベース。

 

その後、ベースは元に戻り、

以前よりも弦自体をしっかり押さえられるように調整していただいた。

整体で体の歪みを見るように

これからは持っているものの状態にも心を配りたいなと思った。

 

スタジオがなくなるのは寂しいけど、

手元には昨日確かに調整してもらった楽器が残っている。

ありがとうございました。

メロンパン

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

小さい頃、学校が終わって母が迎えに来るまでの時間を祖父の家で過ごしていた。

田んぼの真ん中の一軒家。

周りにあるのはコンビニくらいで、自然に囲まれた場所だった。

祖父は大体リビングの健康イスに座り、テレビを見ている。

学校から帰った私に気づくと、お菓子やカチコチに凍ったバナナをおやつとして出してくれた。

 

ある時、祖父が「◯◯ちゃん(私)は何のパンが好きなのかな?」と私に聞いた。

私は適当に「メロンパン」とだけ答えた。

 

それから、毎日おやつにメロンパンが出てくるようになった。

近くのコンビニで買ってきたもの。

でも、チョコチップ入りやザラメが大きいものなど、

毎日違うものが出てきて。

時にはレジ袋に入ったまま出てくることもあって、

きっとそれだけのために買いにいってくれたんだろうと思った。

 

メロンパンが売り切れていたであろう日は、

なぜかレーズン入りのネオバターロールを買ってくれていた。

あれ、溶け出すマーガリンが美味しいんよね…

気がついたら1袋食べてしまって、祖父が目を丸くしてこちらを見ていたこともあった。

 

私が何も考えずに答えた日から、

おやつにメロンパンが出てくる生活は、

小学校を卒業するまで2〜3年続いたように思う。

中学校に上がってからも夕方は祖父の家で過ごしていたけど、

部活で帰宅が遅くなったり、祖父もあまり外に出なくなったりして、

いつのまにかおやつを食べる習慣がなくなってしまった。

 

本当は、毎日食べたいくらいメロンパンが好きなわけではなかった。

私が好きなものとして答えたからこそ、

ずっと買ってくれていた気がして、いつも食べていた。

 

思えば毎日一緒の家で過ごしていたのに、祖父とはあまり話をしなかった。

私はどちらかというと大人しい子どもだったし、

祖父も寡黙で、私がおやつを食べ終わったあとは、

別室で宿題をしている私の様子を伺いにくるくらいだった。

 

言葉は無かったのに、私は祖父と過ごした時間を今でも鮮明に思い出せる。

それはメロンパンに込められたやさしさみたいなものを

ずっと自分が感じとっていたからだと思う。

 

今でも、メロンパンを見るたびにおじいちゃんを思い出す。

仕事から帰ったら、食卓に置いてあったりしないかな。

読書感想文

今週のお題「読書感想文」

 

子供の頃、読書感想文が得意だった。

それは型が決まっていて、

どう書いたら「ちゃんとした感想文」と認めてもらえるか、

なんとなく気付いてたからだと思う。

私もそれに沿って書いて、原稿用紙を埋めたことに満足していた。

 

その一方で、人の書いた感想文を読むのはつまんないなーと思っていた。(ひどい)

賞をとった作文は読みやすいけど、真っ当すぎる感想が書いてある気がした。

 

今年に入り、また本をよく読むようになった。

本を選ぶきっかけの一つに、「読書メーター」がある。

自分の読書量や感想を記録できて、ほかの人の感想も読めるというサイト。

専門家のような書評もあれば、思いついた感想をぽつぽつと書いたものもあり、

同じものを読んでも、ものの見方はこんなにも多様なんだと気付いた。

私が恋愛ものなのかなと読んでいたものが、サスペンスやホラーだと捉えられていたり。

 

感想は読んだ人の数だけあって、どれが正しい解釈というのは無いのだと思う。

自由な感想を読んで、たくさんいい本に出会いたい。